「フリーランス=自由」という嘘――企業が絶対に言わない、その言葉の裏側



「会社に縛られない、自由な働き方」

「自分のスキルで稼ぐ、新しい時代の働き方」

「副業・フリーランスで、人生の主導権を取り戻せ」

———この言葉を、誰が一番熱心に広めているか、考えたことがあるか。


フリーランス礼賛の「熱心な広告主」は誰か

メディアの特集、ビジネス書の棚、SNSのインフルエンサー。「フリーランスで自由に生きる」という物語は、ここ10年で社会に深く浸透した。

だが冷静に問いたい。

この物語を最も積極的に広め、最も利益を受けているのは誰か。

フリーランスになった個人か?

違う。

企業だ。

正社員を雇うと、企業には多くのコストと責任が発生する。社会保険料の折半負担、有給休暇、育児・介護休業、解雇規制——これらはすべて、「雇用」という関係が生じた瞬間に企業が負うべき義務だ。

フリーランスとして「業務委託」にすれば、それがすべて消える。

社会保険料を払わなくていい。有給を与えなくていい。仕事が減れば契約を切ればいい。訴えられるリスクも大幅に下がる。

「自由な働き方」の正体は、企業側のコスト削減と責任放棄の外部化だ。


「フリーター=自由」——30年前にも同じことがあった

実は、この構造には前例がある。

1990年代、日本ではバブル崩壊後の不況の中で企業が採用を絞り込み、多くの若者が正社員になれなかった。本来ならそれは「雇用の機会を奪われた」という社会問題として語られるべきだった。

しかしメディアは違う物語を流した。

「会社に縛られない、フリーターという自由な生き方」

構造的に正社員枠から弾き出された人々が、「自分で選んだ自由な生き方をしている人」として描かれた。問題は個人の選択として処理され、企業が採用を絞ったという構造的事実は見えにくくなった。

あれから30年。

「フリーター」が「フリーランス」に変わっただけで、メカニズムはまったく同じだ。

企業の都合で生まれた不安定な働き方を、個人の自由意志として語り直す。

言葉だけが、時代ごとにアップデートされている。


「自由」の代償——フリーランスが一人で背負うもの

フリーランスになると、何を失うか。正直に書く。

社会保険の全額自己負担:会社員なら企業が折半してくれる健康保険・厚生年金の保険料を、フリーランスは全額自分で払う。国民健康保険・国民年金への切り替えで、手取りは目に見えて減る。

老後保障の薄さ:厚生年金に加入できないため、将来受け取れる年金額が会社員より大幅に少なくなる。iDeCoや小規模企業共済などで自衛できるが、それも「自分でやらなければゼロ」の世界だ。

収入の不安定さと無保証:仕事が途切れれば即座に収入がゼロになる。雇用保険がないため、失業給付も受けられない。病気やケガで働けなくなっても、傷病手当金も出ない。

有給休暇ゼロ:休んだ日は、その分だけ収入が消える。休むことへの心理的ハードルは、会社員の比ではない。

交渉力の非対称性:個人対企業の交渉は、構造的に不利だ。「単価を下げてほしい」「急ぎの対応をしてほしい」という要求を断れば、次の契約がなくなるリスクがある。対等な取引に見えて、力関係は大きく偏っている。

これらのリスクを一身に引き受けて初めて、フリーランスは「自由」を手にする。

そのコストを負担しなくなった企業は、何と言うか。

「自分で選んだ働き方だから、自己責任でしょう」


「働き方改革」という名の免罪符

2010年代後半、政府は「働き方改革」を打ち出した。多様な働き方の推進、副業の解禁、フリーランスの活用促進——いずれも「個人が自由に選択できる社会」として語られた。

だが、その文脈で見落とされた問いがある。

なぜ企業は、正規雇用ではなくフリーランス活用を選ぶのか。

答えは単純だ。コストが安く、責任を負わなくていいからだ。

「多様な働き方の推進」は、見方を変えれば「企業が雇用責任を負わなくていい働かせ方の合法化」でもある。政策が、企業の免責を後押しした構図がここにある。

2023年に施行されたフリーランス保護新法(特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律)は、一定の前進だ。しかしカバーできる範囲は限られており、労働法の保護と比べれば依然として大きな格差がある。

制度が追いついていない間も、「フリーランスは自己責任」という言説は社会に浸透し続けている。


本当の問題は「選択の自由」ではなく「選択肢の有無」だ

誤解しないでほしい。

フリーランスという働き方そのものを否定したいわけではない。

スキルと交渉力があり、リスクを理解した上で選ぶフリーランスは、確かに自由を手にできる。それは本物だ。

問題は、選べる状況にない人が「選んだ」ことにされる構造だ。

正社員になれなかった人が、非正規を経て、「フリーランスとして独立」という形に追い込まれていくケースがある。実態は企業からの業務委託で、取引先は一社だけ。仕事の内容も時間も、ほぼ指示通り。雇用と変わらないのに、契約上は「個人事業主」だ。

これを「偽装フリーランス」と呼ぶ。

自由意志での独立ではなく、企業が雇用責任を回避するために「フリーランス」という形式を当てはめた結果だ。

30年前、正社員になれなかった人が「フリーターという自由な生き方を選んだ」と言われた。今、正規雇用の外に置かれた人が「フリーランスとして独立した」と言われる。

表現は洗練された。構造は変わっていない。


問うべきは「自己責任か否か」ではない

「フリーランスのリスクは自己責任だ」という言説に対して、「いや違う、守るべきだ」と言うだけでは不十分だ。

本当に問うべきは、こうだ。

なぜ、雇用に伴うリスクと責任が、これほど簡単に個人に転嫁できる仕組みになっているのか。

企業が正社員を雇えば負うべきだった社会保険料・有給・雇用保障を、「フリーランス」という形式一つで免れられる現在の制度設計は、誰のために作られているのか。

「自由な働き方」という言葉の裏で、静かに進んでいるのは雇用リスクの社会化から個人化への移行だ。

かつて企業と社会が分担していたリスクを、今は個人が一人で抱えている。

その移行を「時代の流れ」「多様化」として語り、問い直しを封じる言説が、今もメディアとSNSで量産されている。


では、どうすればいいのか

批判だけでは何も変わらない。現実的な視点を持つために、以下を提案したい。

フリーランスを選ぶなら、コストを正確に計算する:手取りだけで比較しない。社会保険の全額負担・老後保障の差・有給換算のコストを含めた実質年収で比較すること。「月収60万のフリーランス」が正社員より豊かとは限らない。

取引先の分散と契約書の整備:一社依存は最もリスクが高い。複数の取引先を持ち、業務範囲・単価・支払条件を明記した契約書を必ず交わす。フリーランス保護新法の内容を把握しておくことも武器になる。

制度的な問い直しを続ける:フリーランスの社会保険問題、偽装フリーランスの実態、取引上の優越的地位の濫用——これらは個人の交渉力で解決できる問題ではなく、制度設計の問題だ。声を上げ続けることが、次の世代への遺産になる。


終わりに——「自由」という言葉を疑え

「自由な働き方」という言葉は、美しい。

だからこそ、危ない。

美しい言葉は、その裏にある構造を見えにくくする。誰が得をして、誰がリスクを負うのかという問いを、感情的な充足感で覆い隠す。

フリーランスという働き方を選ぶのは、あなたの自由だ。

だがその「自由」が、企業が負うべき責任を個人に押し付けるために設計された文脈の中にあるとしたら——その言葉を、もう少し疑ってみる価値はある。

30年前、「フリーター=自由」という物語に乗った世代が、今どこにいるかを、私たちはもう知っている。


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