「老後2000万円問題」が突きつけたもの
2019年、金融庁の報告書が発端となった「老後2000万円問題」が大きな話題を集めた。「夫婦が老後30年間を生きるには、年金以外に約2000万円が必要になる」という試算は、多くの人に将来への不安を植えつけた。
しかしこのニュースを聞いたとき、ある世代の人々は他の人とは異なる受け止め方をしたのではないだろうか。
それが、氷河期世代だ。
1990年代後半から2000年代初頭にかけて就職活動を行った、現在40代〜50代前半のこの世代にとって、老後2000万円問題は「将来の話」ではなく、「すでに積み上げが足りていない現実の問題」として響いたはずだ。
なぜなら、そもそも”積み上げる余裕”が著しく少なかった世代だからである。
就職氷河期とは何だったのか――時代の構造を振り返る
氷河期世代が社会に出た頃、日本は深刻な就職難のただ中にあった。バブル経済の崩壊後、企業は軒並み新卒採用を絞り込んだ。求人倍率は1.0を大きく下回る時代が続き、どれだけ努力しても正社員の椅子そのものが存在しなかった。
正社員になれない。 非正規雇用が増える。 給料も上がらない。
ようやく就職できても、非正規雇用や契約社員という立場で長年を過ごした人は少なくない。当初は「いずれ正社員になれる」と信じて耐えていたものの、そのまま不安定な雇用形態が固定化してしまったケースも多かった。
厚生労働省の調査によれば、就職氷河期世代の非正規雇用率は他の世代と比較しても高く、その後の景気回復期においても正規雇用への移行が十分に進まなかった実態がある。
つまり多くの人が、「将来のために貯蓄する前に、今を生きることで精一杯」という状況に長年置かれてきた。これは個人の意志や努力の問題ではなく、時代が生み出した構造的な結果だった。
非正規雇用が生む「老後格差」の連鎖
氷河期世代の老後不安を語るうえで避けられないのが、非正規雇用と社会保障の関係だ。
正規雇用と非正規雇用では、将来受け取れる年金額に大きな差が生まれやすい。厚生年金に十分加入できていない場合、老後に受け取れるのは基礎年金のみとなり、その額は月額で数万円にとどまる。退職金もない。企業による資産形成支援もない。昇給も少ないため、そもそも貯蓄に回せる額が限られる。
こうした要素が重なることで、老後資金の格差はどんどん広がっていく。
同じ年齢であっても、正規雇用で勤め続けた人と、非正規雇用が続いた人との間には、退職時点で数千万円単位の差が生じることも珍しくない。そしてその差は、就職活動の時期に正規雇用の椅子があったかどうか、という運と時代の問題に大きく左右されている。
氷河期世代の老後問題とは、個人の生活設計の失敗ではなく、このような「雇用形態の固定化が生む格差の連鎖」だと理解することが重要だ。
「自己責任論」の限界――構造を無視した語りの問題
それでも社会は長い間、氷河期世代の苦境を語る際に「自己責任」という言葉を使い続けてきた。
「もっと早く動けばよかった」 「スキルを身につけるべきだった」 「努力が足りなかった」
こうした声は今もなお根強い。しかし、この語りには根本的な見落としがある。
求人自体が少なかった時代に、どれほどの努力が正社員採用を生み出せただろうか。不安定雇用が拡大し続けた時代に、個人の意志だけで雇用形態を変えられる人がどれだけいただろうか。賃金がほとんど伸びなかった時代に、貯蓄を積み上げることがどこまで現実的だっただろうか。
就職活動の結果は個人の能力だけで決まるものではない。景気、求人数、業界の動向、採用慣行、さらにはその年に何社が倒産したかという偶発的な要素まで複雑に絡み合っている。にもかかわらず、結果だけを見て個人の責任に帰着させるのは、あまりにも一面的だ。
構造的な問題を無視して個人だけへ責任を押し付ける語りは、問題の本質を曖昧にするだけでなく、困難な状況にいる人たちをさらに追い詰める危険性も持っている。
物価高・社会保険料の増大という追い打ち
氷河期世代の老後不安を語るとき、現在進行形の問題も見過ごせない。
近年の物価上昇は、家計への圧迫を加速させている。食料品、光熱費、日用品——あらゆるものの価格が上がる中で、手取り収入はなかなか増えない。
さらに、社会保険料の負担も年々増加している。健康保険料、介護保険料、厚生年金保険料の合計は、現役世代の給与から相当な割合を占めるようになっている。将来の年金受給に備えるはずの保険料が、今の生活を圧迫するという逆説的な状況も生まれている。
「老後に備えろ」と社会から言われても、日々の生活だけで余裕が消えていく。そのような状況では、つみたてNISAやiDeCoの活用を勧められても、そもそも投資に回せる資金がないというケースも少なくない。
これは「意識が低い」のではなく、「余力がない」という現実だ。
氷河期世代の老後不安は「当然の結果」である
こうした背景を踏まえると、氷河期世代が老後不安を強く感じることは、決して特別なことでも、嘆かわしいことでもない。
むしろ当然の結果だと言える。
就職難の時代に社会へ出て、非正規雇用が固定化し、賃金が伸びず、社会保障の積み上げも限られた。その上で物価高と保険料増大が重なっている。このような条件が揃えば、老後への不安を抱かない方が難しい。
「不安を感じること」自体を問題視したり、個人の心がけや勉強不足の問題として片付けたりすることは、的外れな処方箋だ。不安の根っこにあるのは、心の持ちようではなく、長年にわたって積み重なった社会構造上の問題だからだ。
では、何が必要なのか――「土台」を整えるという発想
氷河期世代が直面している老後不安に対して、社会と政策はどう向き合うべきか。
必要なのは、不安を抱える人へ「もっと頑張れ」と言うことではない。
まず求められるのは、安定して働ける環境の整備だ。非正規雇用から正規雇用への移行を後押しする制度、同一労働同一賃金の実質的な実現、中高年でも再就職しやすい労働市場のあり方を、継続的に改善していくことが必要だ。
次に、再挑戦できる仕組みだ。40代・50代であっても職業訓練やキャリア転換を支援する制度が充実すれば、たとえ出遅れた人であっても将来の見通しを立てやすくなる。年齢によるキャリアの「詰み」をなくすことが重要だ。
そして最も根本的なのは、最低限の安心を持てる社会の設計だ。老後の生活を支える年金制度の持続可能性を高め、低年金・無年金になりやすい層へのセーフティネットを強化する。「老後に備えた人だけが安心できる社会」ではなく、「備える余裕がなかった人も最低限守られる社会」という方向性こそが、氷河期世代問題の本質的な解決につながるはずだ。
おわりに――老後不安は社会構造の問題である
老後不安は、個人の問題だけではない。
長い時間をかけて積み重なった、社会構造の問題でもある。
氷河期世代が感じる不安の多くは、彼らが特別に計画性がなかったからでも、努力が足りなかったからでもない。時代が生んだ雇用構造の歪みが、何十年もかけて老後問題として噴き出しているのだ。
その事実を社会全体が正面から受け止め、「自己責任」という言葉で幕引きをしないことが、まず必要な一歩ではないだろうか。
不安を抱える人々の声に耳を傾け、土台を整える政策へと向かうこと。それが、氷河期世代だけでなく、すべての世代にとってより安心できる社会をつくることにもつながるはずだ。

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