はっきり言う。
いじめは教育問題ではない。
多くの場合、ただの犯罪だ。
殴れば暴行・傷害。
金を取れば恐喝・窃盗。
物を壊せば器物損壊。
やっていることは完全に刑事事件である。
それを「いじめ」という言葉に置き換えた瞬間、
なぜか許される空気になる。
これは異常だ。
なぜ加害者が守られるのか
理由は単純だ。
「子どもだから」
「学校の中の話だから」
「教育で解決すべきだから」
その結果どうなるか。
本来なら警察案件の出来事が、
教師の裁量で“なかったこと”にされる。
つまり、犯罪の隠蔽だ。
「晒せばいい」という短絡的な正義
ここで一つ、よくある意見がある。
「加害者の顔と名前を晒せばいい」
気持ちは分かる。
だが、それをやった瞬間、今度は自分が法に触れる側に回る。
日本では、たとえ事実でも、
個人を特定して社会的評価を下げれば名誉毀損が成立する。
つまり、“正義の暴露”は簡単に違法になる。
ではどうすべきか
答えはシンプルだ。
晒すのではなく、「犯罪として扱う」こと。
・警察に相談する
・証拠を残す
・外部に出す
そして何より、
「これはいじめではなく犯罪だ」と言葉にすること。
問題の本質
本当に異常なのは、加害者ではない。
犯罪を「いじめ」と言い換えて、
軽く扱う社会の側だ。
言葉を変えれば、現実は変わる。
これは感情論ではない。
ただの事実である。

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