筋トレと散歩だけのGW。それでも、調子は良かった。

今年のGWは、かなり地味だった。旅行もなし、大きなイベントもなし。友人と騒いだわけでも、どこか遠くへ出かけたわけでもない。やっていたことといえば、筋トレ、散歩、それに少し読書。本当にそれくらいしかない。カレンダーを振り返っても、特別な予定のひとつも書き込まれていなかった。

それでも不思議と、体調も気分も悪くなかった。むしろ例年と比べて、連休明けの「重さ」が少なかった気がする。仕事に戻る月曜日、いつもは感じていた「また始まった」という憂鬱が、今年は薄かった。なぜだろう、と振り返ってみると、思い当たることがいくつかあった。

昔の連休は、逆だった

以前の連休といえば、パターンが決まっていた。初日は「せっかくだから」と意気込んで、何でもやろうとする。でも二日目あたりから崩れ始める。夜更かし、ダラダラとスマホ、乱れていく生活リズム。昼に起きて、夜中にYouTubeを見て、何となくSNSをスクロールして、気づけば朝になっている。そんなことを繰り返すうちに、あっという間に最終日を迎える。

「せっかくの休みだったのに」という後悔と、「休んだはずなのに疲れている」という矛盾。その両方を抱えて職場に戻る、という経験を何度繰り返しただろう。休日の過ごし方として、明らかに何かが間違っていた。でも当時は、その「何か」がわからなかった。

今回はそれがなかった。意識してそうしたわけでもないのだが、結果的に「止まりすぎなかった」ことが大きかったと思う。

筋トレの疲れは、ダルさとは違う

筋トレをすれば当然疲れる。重いものを持ち上げた後の疲労感は本物だ。セットを終えた直後は息も上がるし、翌日には筋肉痛が来ることもある。それは確かだ。

でもその疲れは、連休中のダラダラから来る「どんよりしたダルさ」とは質が違う。身体を動かした日の夜は、睡眠が深くなる。翌朝の食欲も安定している。そして何より、「自分の身体の感覚」が戻ってくる感じがある。

怠けている期間が続くと、この感覚が少しずつ鈍くなっていくのかもしれない。腹が減っているのか満腹なのか、疲れているのか眠いのか、そういう身体の基本的なシグナルが、ぼんやりとしてくる。筋トレはそれをリセットしてくれる。疲れるけれど、整う。この感覚は、何度経験しても不思議だと思う。

GW中も、毎日ではなかった。一日おきくらいに、だいたい1時間程度。それでも十分だった。毎日追い込む必要はない。「身体を使う日がある」という事実だけで、生活のリズムに芯が生まれる感じがした。

散歩は、思っているより効く

ただ外を歩くだけ。それだけで、頭の中がかなりスッキリする。外の空気、日光、少し心拍が上がること——どれが効いているのかはわからないが、30分も歩けば帰る頃にはものの見方が変わっている。室内でぼんやりしていたときと、同じ自分とは思えないくらいに。

特に感じたのは、「考えが整理される」ということだ。歩きながら何かを考えるというより、歩いている間に頭の中がゆっくりと片付いていく感じ。机に向かってぐるぐると考え続けても解決しないことが、散歩から帰ってくると「そういえばあれはこうすればいいか」と自然に答えが出ていることがある。

目的地もなくていい。何かを考えようとしなくていい。イヤホンをして音楽を聴きながらでも、ぼーっと空を見ながらでも、どちらでもいい。ただ外に出て、足を動かす。それだけで何かが変わる。今回の連休で、そのことをあらためて実感した。

「完全停止」は、逆に重くなる

ダラダラすることが悪いとは思わない。休むことは大事だし、何もしない時間にも意味がある。ソファに横になって何も考えない午後があってもいいと思う。それは否定しない。

でも「完全停止」はどうも違う。何日も動かずにいると、身体だけでなく気持ちまで重くなってくる。何もしていないのに焦ってくる。やらなければいけないことが頭をちらつく。休んでいるはずなのに、なんとなく罪悪感がある。この状態、経験したことがある人は多いんじゃないかと思う。

人間は、少し動いていた方が安定するのかもしれない。軽く運動する、少し頭を使う、外に出る——このくらいの「ゆるい継続」が、ちょうどいいバランスなのだと感じた。派手さはないけれど、崩れない。それが今回のGWで掴んだ感覚だった。

SNSを眺めながら思ったこと

連休中、SNSには海外旅行やBBQ、大きなイベントの投稿が次々と流れてきた。どれも楽しそうで、写真は鮮やかで、「最高のGWだった」というキャプションが並んでいた。見ていて楽しい気持ちになる反面、「自分は何もしていないな」という感覚が、一瞬だけよぎることもあった。

でも羨ましいとは思わなかった。正確に言えば、「羨ましいけれど、自分はこれでよかった」という感覚だった。楽しそうな連休を過ごした人たちのことを否定する気持ちは全くない。ただ、自分にとっての「良い連休」が、少しずつ変わってきているのを感じた。

昔は「休みを使い切らなきゃ損だ」という感覚があった。どこかに行かなければ、何かをしなければ、もったいないと思っていた。連休を「消費」しようとしていた、という言い方が近いかもしれない。でも今は少し違う。「休みで整える」という感覚の方が自分には合っているのだと思う。

これが年齢なのか、それとも単純に価値観が変わってきたのかはわからない。どちらでもいいとも思っている。静かな連休も悪くない、とフラットに思えるようになったこと自体が、たぶん一つの変化なのだろう。

読書について、少しだけ

筋トレと散歩ほど大きく取り上げなかったが、読書も地味に効いていた。特に連休中は、普段より長い時間をかけてじっくり読めた。仕事のある日は「30分だけ」と区切って読むことが多いが、連休中は時間を気にせず読み続けられる。本の内容が深く入ってくる感じがして、それが心地よかった。

スマホのスクロールとは違う。SNSやニュースを見ているときの「情報を浴びている感覚」とは根本的に異なる。本を読んでいるときは、自分のペースで、自分の頭で考えながら進んでいく。それが頭の使い方として、ちょうど良い負荷になっていたのだと思う。

結局、何が良かったのか

振り返ってみると、今回のGWが調子良かった理由は、「適度に動き、適度に使い、適度に外に出た」という一点に尽きる気がする。劇的に何かをしたわけじゃない。でも、生活のリズムが極端に崩れなかった。それだけで、こんなに違うのかと少し驚いた。

来年のGWも、きっと似たような過ごし方をすると思う。いや、むしろそうしようと思っている。派手さはない。でも崩れない。「整えるための休み」という感覚を、もう少し大切にしていきたい。

特別なことは何もしていない。筋トレ、散歩、読書——それだけで、意外と満足していた。こういう地味な積み重ねの方が、あとで効いてくる気がする。華やかじゃなくていい。ちゃんと整えられた連休の方が、長い目で見れば価値があると思っている。

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